現在のパチンコに対する考察 私史 前編

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ここ数年1パチのみで思いついたようにホールに足を運んで、負け始めたら結構な期間間を空けるのを繰り返してきたのですが、最近再び嵌り始めまして、とは言っても1週間の

間に1、2度行くくらいだが、どうしたら勝てるのだろうかと、データを表にしたのでそれを紹介したいと思います。その前に僕のパチンコ史を少し紹介させていただきます。

僕がパチンコをやり始めたのはてっとり早く稼ぐためです。当時、セカンドアシスタントからチーフアシスタントに階級を上げたために仕事が激減し、食べてゆくにはアルバイトをしなくてはならなかったのですが、急に仕事が入ってくるのに備えて定期的なアルバイトは避けたかったのでどうしたものかと悩んだ末に、ちょっとやってみるかといった感じで手を出したのがきっかけです。僕は今でもパチンコ以外のギャンブルは一切しないし(宝くじはギャンブルだとは考えていない)、それまで500円玉が簡単に消えてゆく遊びなんかばからしいと思っていました。ですから、儲からなかったら直ぐ止めようと軽い気持ちで、打ち始めたのですが、意外と勝てたんですよね。月20万くらい。良い月は30万くらいはいきました。ただ、外国に行くことにしたので続けたのは半年くらいだったと記憶しております。その頃は『花満開』などのCR機(プリペードカード使用機)が初お目見えした時で、僕の出身大学の近くの小さなホール(200台以下)で他の人の50連荘確変したのを目撃して、吃驚したのを覚えています。今でも1/319の台でトータルで50回大当たり(小当たりや突確を含む)することはありますが2300×50ですからね。結局その台は80か90位大当たりしたのではないでしょうか。

 

はなぜ当時は(僕だけじゃありません)結構稼ぐことができたのか?

爆発台の存在

今でもそういう傾向はありますが、昔ほど出る台は出る、出ない台は出ないとはっきりしていたからです。ホールコンピューターがない時代ですから、台1台1台が独立していて今の様にパソコンが組み込まれたものではなかったため電源を入れた時点での1日の出玉パターンもそんなになかったはずです。それに釘が開いていたら、出してください

と言っているようなものです。ですから、出る台は10日間出っ放し、一日ないしは二日お休みして再び連続で大当たりしまくる。そんな爆発台がホールの中に必ず数台存在したのです。まあ、たいていは端台ですが(今でも端台は大爆発することはありますがホルコンに制御されているため大沈みのほうが多いようです)。だからこそ朝早くからホールの前に並ぶ価値があったんですがね。

観察力

CR機ではありませんが、『綱取物語』という爆発連荘機を例に説明しましょう。当時のパチンコ台は今のすべての機器の様にボタン電池で設定を記憶するものはなく、電源を落とした時点で初期設定に戻ってしまうものでした。この『綱取物語』という台は電源を入れた時点で普通モード。大当たり後、天国(50%)、普通(33.4%)、地獄(16.6%)と振り分けられ、極めて数珠繋ぎ連荘を引きやすい台で、朝イチのモーニングを引いたら少ない投資であっという間に10箱積んでしまうものだったのです。その後は地獄に入ったと思われるので、50回転ほど回して当たりが来なければ他の台に移動するのですが、当然まだ当たりが出ていない台をゲットしなければならないのです。「そんなの台の上についているデータ表示機見ればわかるじゃん、他の人にとられちゃうよ」と言われるかもしれませんが、当時は簡単なデータでさえ表示する機器は存在せず、どの台がどれだけ大当たりしているか、あるいは嵌っているか全くわからなかったのです。ですから、球をはじきながら他の台が大当たりしていないか観察する必要があったのです。そうして、昼までには全ての台をつぶして深追いせずにあっさり帰宅する。そして、仕事がなければ次の日も朝からホールの前に並ぶの繰り返しだったのです。その後、僕は外国で数年間過ごしたためにパチンコに接する機会は全く訪れなかったのです。

コラム

少し時間のねじを逆に回してみたいと思います。僕がまだ子供だった頃、親父を迎えにパチンコ店に行ったことがあるのですが、その頃はまだ親指でレバーを弾く手動パチンコの時代だったのを記憶しております。そういえば『太陽にほえろ!』でこんなシーンがありました。場所はパチンコポール。ジーパン刑事が公衆電話の受話器を握りながらパチンコ玉を打っている若いチンピラを見つめている。「ボス。やっこさん、ずいぶんドル箱積み上げてますよ」チンピラの足元には何段にも重ねられた箱があり、パチンコ玉は弾く瞬間からチューリップに吸い込まれ、

それ以上の多くの玉が吐き出されていっている。受話器を置いたボスが傍に立っている山さんの方へ目線を向ける。山さんの一言。「腕が立つようですな」誰がどのような言葉を吐いたのかはっきりとは覚えていませんが、大体のニュアンスは合っていると思います。七曲署の刑事たちはヒットマンを探していたんですね。このシーンからも分かる通り釘を見ることもさることながら間欠に球を弾くことが更に大事だったことがわかります。だからこそパチンコで飯を食べることができるプロが存在していたのです。それが1970年代後半からの電動ハンドルの普及に伴い素人でもドル箱を重ねることができる時代が到来したのです

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