御府内八十八ヶ所巡り 平成二十八年七月 四

七月二十七日

前回のお参りから中三日ということで本来は歩くつもりではなかったが、明日から本格的な夏が到来ということで前半最後の巡礼とするために六時過ぎに出発した。前回とそんなに日数が経っていないせいなのだろうか、アドレナリンが出たようで、意外なことに足はそんなに痛くならなかったが、前回よりも7kmも少ないわけだから納得した。

第三十二番所 圓満寺

前回は遠慮してセキュリティードアのノブに手も触れなかったが、捻ると、噂通り、ロックされていなかった。御堂があるのかどうかわからないが、エレベーターで8Fへ。何と若い男女の先客が?すると「こちらのかたですかっ?」と尋ねられてので「違いますよ」と答え、このお寺の事情を説明したら、入り口に取って返し、インターホンで中の人と話をしたらしく、すぐに戻ってきた。どうやらお遍路さんではなく、あらかじめ面会の予約を取って来た業者か保険屋か何かだろう。間違っても探偵ではない。

棚の上に書置きの御朱印があったので、300円納め、御朱印を戴いた。

看板に東京事務所とあるのでお寺として機能しているのかどうか疑問?

新高野山大安楽寺

六番所不動院の御朱印を戴くために訪れたのであるが、先客の御婦人方がいて、五番目となり、ご住職が一枚一枚丁寧に書かれていたので少し待たされたのだが、不動院は息子がいるお寺で迷惑を掛けましたと謝られたので、こちらも恐縮してしまった。御本尊は四国の一番所と一緒の木彫り彫刻師が掘ったとかで由緒あるものだと付け加えも頂いた。それはさておき、この向かいの公園が江戸の牢屋敷があった場所で、ここで吉田松陰が最期を遂げたと言う石碑がある。松陰先生と政治犯で捕まえられた方たちに合掌。

そんな感じでいい気分でお参りを済ませたのだが、次のお寺で一転気分を害してしまったが、多聞院の住職がおっしゃってたように気にする必要はない。

松陰が入れられていた伝馬町牢屋敷跡

真ん中が松陰の遺書の冒頭の句

上記の石碑に書かれていること

第二十三番所 薬研堀不動院

馬喰町の衣料問屋街を抜けると薬研掘不動院の赤い幟が道路の周りに立てられ、場所を示す街灯や矢印の付いている看板があったので、きちんとしたお寺だと思われたのだが、本堂の中にある寺務所にいた男―坊さんかあるいは寺務員かわからないが、御朱印はその男が手書きで書いてくれたのだが、タイミングが悪いことに奥で飯を食べている時にお願いすることとなってしまった。ただ、私の本業もそうであるが、こういう場合(職種によるが、受付など昼休みなど関係ない仕事をしている場合)開いている時間帯はお客さんが来店あるいは来寺するものと考え、どのような場合でも対応しなければならないと私は考えたので、声を掛けて御朱印を戴いた。受け取った時に昼食中、申し訳なかったと謝ると、大きなお寺はまだしも内のような小さなお寺は昼休みは閉まるとか、昼食時は避けてほしいなどと言葉が返ってきた。四国の62番所の言い分と一緒のことを口にしたのだが、何度も言うがこういう仕事はサラリーマンと違うのだから、サラリーマンと同じルールを当てはめるのはおかしい。私の仕事では切りが付くまでは飯抜きが当たり前で、アシスタント時代は昼食が飛ばされた仕事が何度あったことか…。

とはいえ、両国橋を渡ると気持ちいい風が吹いていた。

第五十番所 大徳院

ここも大きな寺で、弘法大師さんの木彫り像はだいたい人間くらいの大きさで建物の中に祭られていたが、広いロビーは葬儀場になっていて、スーツを身に着けた職員が御朱印の対応にあたってくれた。

第四十六番所 弥勒寺

小さなこじんまりとしたお寺で住職が御朱印を渡してくれた。

東京大空襲の戦争被害者の墓

歩行距離
21.9km自宅→圓満寺
2.2km圓満寺→大安楽寺
1.0km大安楽寺→薬研掘不動院
0.8km薬研掘不動院→大徳院
0.9km大徳院→弥勒寺
3.7kmひばりヶ丘→自宅

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