御府内八十八ヶ所巡り 平成二十八年五月 六

五月二十八日

と言う訳でこの日に再び竜巌寺に挑戦することにした。中3日開けたのとSさんに土曜日当たりまた来てくれたらいいなあと言われていたからだ。

7時少し前に自宅から出発。今日は曇っていて尚且つまだ朝早い時間だったのでTシャツ一枚だと寒いくらいだったが、すぐにトイレに行きたくなって、大きいのを出した後は快適に歩が進んだ。それにしても家でもトイレに行ったのに緩い腸には何度も泣かされ続けてきているのだが、これもどうしようもないことはわかりきっている。

車でよく通る道を歩きながら大泉学園を抜け、石神井公園に辿り着いた。歩くようになって再び飲み始めたサプリメントを早いうちに飲んだのでここまで来ても疲れは感じない。ただ、途中眠くなった。おそらくジャムをたっぷり塗ったパンを食べてきたためだろう。血糖値が急に上がった後急に下がったからだ。それでも眠気は長くは続かず、昔車でよく通った富士見台からの抜け道を通って中杉通りに出て鷺ノ宮に。31年前浪人生だった頃田舎の友人がこの場所に住んでいてよく遊びに来たもんだが、街の雰囲気自体は何も変わりなく、駅前の写真屋もしぶとく存在していた。妙正寺側の橋を渡ってすぐの所に保育園を併設した福蔵院がある。当然の事ならがこの場所に大きなお寺があるとは当時は知らなかった。

第十四番所 福蔵院

遊具や広い公園があるにもかかわらず、幼稚園は後で調べると少し前に廃園となったみたいだ。悪い噂もあるようだが、今どき老舗であるお寺の中の幼稚園がなくなると言うのはそれなりの理由があったのだろうが、全く矛盾している世の中である。それらを左に見ながら中に入ると業者の人々がお寺の外を掃除していた。ということは大きな寺である。手を合わせた後御朱印をお願いすると若い僧が対応してくれた。廊下を通ったおっとりした僧が、おはようございますと挨拶しくれたが急だったので私は頭を下げるのみだった。言葉が出てこなかったのだ。この時は気付かなかったが私は北門、逆門からやってきたらしく正門を通っていたら十三仏石像に手を合わせることができたのだが…、残念。いつか思い出した時にもう一度訪れなければならないだろう。

境内はかなり広く、手入れも行き届いています

北門の表札が写ってました。

福蔵院を出た後新しくなった公団住宅を見ながら中野の早稲田通りを歩いた。警察大学校の広い敷地に大学などの色々なビルが建っていたのだが、ただ眺めるだけにして、新井薬師に少し戻るように北上した。

自転車の収納の仕方が面白いがこういった古いアパートも少なくなりましたね

東京ってすごいとゆうか不思議なところですね

第七十一番所 梅照院

浪人時代西武新宿線で上石神井から高田馬場、学生時代少しだけ中野区江古田に住んでいたので新井薬師のことは知ってはいたが初めて足を踏み入れた。ここも大きなお寺で、駅名が付いているくらいなのだから寺町通りの周りに商店街もあり、湧水(白龍権現水)を蛇口からペットボトルなどに入れる人が絶えず、護摩の受付までしていた。小さな新井大社のような感じ。納経は自分でなさってと、おばさんに言われたが、何処に置けばよいかわからないので、渡さずに退散した。来年はここまで歩いて護摩を上げてみようかと言う気になった。兎に角、水は汲んでみなきゃならんだろう。

戻って早稲田通りを横切ってもみじ通りを通って堀越学園の脇を通ると新しい校舎を建てていた。

悪いところに水を掛けると治るというので私は頭に掛けた

第十二番所 宝仙寺

このお寺は仁王門、三重塔、弘法大師さんがいらっしゃる御影堂、大きな墓所など、いろいろ大きな建物や石像がある大変大きな綺麗なお寺であったが、訪れる人は少なく、最中に法要があり車はそれなりに泊まっていたが、微かにお経が流れる以外ひっそりとしていた。ここでも若い僧から御朱印を頂いて、次のお寺に向かった。

で、青梅街道に戻り、山手通りを下ったのだが、まあ、この辺には新しい高層ビルが存在する。土地代が安い時期、(失われた二十年、二十五年?)が無かったら建てることが出来たのだろうか?おかげで、新宿の元祖高層ビル群の貸オフィスが空いていると言う???

整然とした広い境内。左下に石臼塚が見られます

左に聖徳太子さん

第十一番所 壮厳寺

ここも大きなお寺であったが大きな本堂が、幡ヶ谷不動尊を掲げているので間違いではないかと思ったが荘厳寺と横にある。違和感を感じながらおみくじの場所で社務員にお願いしたら、延命十句観音経を書いた紙は突っ返され、クリアファイルの中の和紙だけを抜き取って、ファイルはいらないから、とこれも突き返された。何か、嫌な感じ。御朱印を書きながら本堂の中にいる檀家には頭を低くして軽く話し掛けている。この社務員、立場は低いが長いこと務めているので、権力を握っていると思い込んでいるように思われる。大きなお寺の住職は一般社会と同じように移動があるからね。実際に権力を持っているのかもしれないが、いるんだよね、こういうの。気にせずに御朱印を頂いた。

※実は本堂は左隣にある古い、小さな御堂だったのだが、日記を書いている時にネットで気づかされた。残念。まあ、ここから手を合わせます。

こちらの立派な建物が幡ヶ谷不動尊

さて、ここを出た後、急に明治神宮の中を通ることに。昔、近くで仕事をしていてこの場所を歩いた記憶があるが、本殿にお参りするのは初めてだ。東京に来て30年以上になるのに、なんてことだ。今回私が、歩き始めた理由の一つにこういった訪れたことがない場所を訪れることにあるのだが、歩くのに必死で、寄り道があまりできない。もう少し、足が鍛えられたら、あっちこっち行けるかもしれない。とはいえ、外国人のなんと多いことか。日本人はほとんど見られない。これは凄いことだと思うし、東京のど真ん中がまるで伊勢を歩いているように思われるのだからこんなすごいことはない。いつかは清正の井戸のある場所に行ってみたいものだ。

この後、再び龍巌寺を訪れ、今度は堂々と境内に入って行き中にいた女性から御朱印を戴いた。そのことについては前回の龍巌寺の編を読んでいただきたい。

歩行距離
10.7km 自宅→福蔵院
5.0km 福蔵院→梅照院
2.3km 梅照院→宝仙寺
2.0km 宝仙寺→荘厳寺
4.0km 荘厳寺→龍巌寺
1.5km 龍巌寺→2104ギャラリー

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