御府内八十八ヶ所巡り 平成二十八年五月 七
五月三十一日
先々週と同じような感覚で朝を迎えたので、急遽出かけることにした。この前と違うのは晴れの日にもかかわらず、自宅でやらなければならないことが全くやる気がしなかったからだ。タオバオのお店から購入した商品が苦難の道を経てやっと届くと言うのにもあまりうれしさを感じない状態。とにかく決めたら直ぐ判断、すぐ行動と言う訳で亀戸まで足を伸ばして見ようかと思ったが、足の疲労もあんまり回復しているとは思えず、ぐずぐずしている内に時間が過ぎ、近場にすることに決めて十時と言う遅い時間に出発した。
見慣れた道を通りながら司法大学の向の小学校にSLがあるのを初めて知るなど、もうすでに気温が上がって暑かったにもかかわらず、幸先良い感じであったのだが、SLの写真を撮っていたら学校の中から不審者の様な目付きで見られた。嫌な世の中になったもんだ。通り掛かりの人間に何ができると言うのだろう。そんな感じで川越街道を渡ったらすぐのはずだったが、場所は住宅街で、入り組んでいるために道を何度か間違えながら最初の目的地にたどり着いた。
第十九番所 青蓮寺
坂の上まで登ったり下りたり登ったり、保育園を見付けてやっとたどり着いた。墓所もお寺も大きくなくこじんまりとした感じ、お参りしている最中おばさんの電話の声がしていて、その声の女性(奥さん)に御朱印を頼むと、納経を見て、私も日日を入れなきゃいけないかしらと訊かれたので、大丈夫ですと言うと、あなたで今日4人目だと言われた。今まで御朱印を戴くのにかち合った巡礼者は、東京別院を外すと、一度だけだったので、こんな時期に他にも回っている人がいるのだと感じだ。
この後迷うことなく、成増を抜けた。駅前がこんな大きな場所だと初めて知らされた。そうこうしている内に光が丘公園に辿り着き、疲れたので少し休憩し、長命寺へ。
第十七番所 長命寺
ここいらは昔自分が住んでいた辺りだし、今住んでいるところからも車での帰宅の帰り道として何度も通っていて、この辺りにお寺があるのはうろ覚えで知ってはいたが、こんな大きなお寺があるとは知らなかった。何でもここは創建当時からある様で増島重明という北条早雲のひ孫にあたる方が香川県にある四国八十八か所七十一番所弥谷寺から弘法大師さんの生御影を戴いて建立したのが始まりとされている。それにしても増島重明は北条氏政と同世代だし、翌年大坂冬の陣が起こるなど、こんなところに(田舎)江戸幕府の始まりと同時に歴史を刻んでいる寺があるとは驚きだし、長命寺は御府内では十七番となっていることから弥谷寺の七十一番所をひっくり返した、何かそれだけでとっても意味があるような気がして、自分はとってもいい場所に住んでいたのだと改めて思ってしまうのだが、私自身は都落ちし続けているのが悔しい限りであるが仕方がない。とはいえ、ここは高野山に模しているものが多く、大体は目にしたのだが、創建当時からある仁王門は写真の奥には写っているもののきちんと見ることはなかったし、梵鐘も適当に見て来たので、折りを見て、もう何度か訪れたい。
※蓮乗院に続いて目の前で御朱印を書いて頂いたが、このお坊さんはなかなかの達筆であった。
そんなわけで石神井公園に向かった。この辺りは嘗ての私のフィールドであったのだが、学生時代の時も仕事をしている時もわりかし忙しかったので公園の中でぼっとするとか散歩するなど数えるくらいしかしなかった。今ならそう言う時間がたっぷりあるんだけどね。
第七十番所 善定院
このお寺も建立時からこの場所にあった様だが、本堂自体は比較的新しい。私の記憶だと歩いてすぐの南田中に私が住んでいる時に改装された記憶があるのだが、江戸時代からある珍しい茅葺き屋根の鐘楼を見落としてしまった。それにしても、御朱印を戴くためにインターホンを押したら自宅にいる馬鹿でかいシェパード犬?がガンガン吠えだし、今にも噛み付きそうな感じで怖かった。若い奥さんはいたって普通だったが、あんな犬を飼って番犬にしているのはいかがな物かなっと思った。
学生からアシスタント時代にかけて私が住んでいたあたりを後ろに見ながら旧早稲田通りと石神井公園通りの交差点にでると大きな農協であった石神井農協の建物が新しくなっていた。更に馬鹿でかい。この辺りは三十年前とあまり変わらない地域だが、駅前がガラリと変わったのだから少しずつ変わっていくのは仕方がない。なんだか寂しい感じ。
第十六番所 三宝寺
石神井公園は石神井池と三宝寺池に分かれているのだが、三宝寺池の方には弁天様が祭られていることから三宝寺は有名な寺なんだろうなあとはなんとなく知ってはいたが、こんなにでかいお寺とは思ってもみなかった。隣のかつての別院であった氷川神社には足を踏み入れたことはあったのだが…。ここもなんか色々あって、見どころ満載で、四国八十八か所のお砂踏みまである。とにかくここもいつかゆっくり回りたいものだ。