スター・ウォーズ/最後のジェダイ 批評 エピソード1

やっと『スター・ウォーズ/最後のジェダイ(2017)』を鑑賞しました。それなりに楽しめたので本来はそれで終わりだったのですが、ネットの他の人の論評を読んでみたのですが、二つの重要な要素に言及していませんでしたので、僭越ながらそのことを指摘し、自分なりの意見を展開していきたいと思います。最後までお付き合いください。

ここ数十年僕はほとんど映画を鑑賞しなくなってしまったのですが、007とスター・ウォーズ(メインのみ)は見続けています。だからと言って、スター・ウォーズに関して感想を皆様に披露する立場にあるかといえば疑問符が付くほどフリークでもなければ思い入れがあるわけでもありません。僕の友人の中にはそう言った人々がいるからです。ではなぜかというと、一つは僕じゃなければこういったことを書かないだろうと思われるのと、もう一つは僕が読んだ批評において黒澤明監督に言及していないからです。僕の中で好きな映画監督を数人上げるとしたら黒澤監督を外すことはできないくらい色々なことを知っていますし、そもそも若い人の中には『スター・ウォーズ(1977)』は黒澤監督の『隠し砦の三悪人(1958)』から出来上がった話を知らないのではないかと思ったからです。

20世紀フォックスからディズニーへ

僕がその話をスター・ウォーズフリークの友人から聞いた時、えっ!よりによってディズニーかよ!と吃驚したのとよくよく考えてみるとありそうな話だなと思ったのが第一印象でした。このよりによってディズニーかよ!という僕の悲鳴が、今回の最後のジェダイに対する古来のファンの不満をほぼ指し示していると言って差し支えないと思われます。そもそもシリーズ化された映画が存続を希望するために配給会社を変えるというのは珍しい話ではありません。ユナイテッドアーティスツからコロンビアに移った007はその代表例です。しかし、これだけ大きな作品の生みの親であるプロデューサーが全てを譲渡し、借金を抱えているわけではないのに一切かかわらないとするのは極めて珍しいと言えます。

20世紀フォックス

『THX 1138(1971)』はワーナー、『アメリカン・グラフィティ(1973)』はユニバーサル。なぜ『スター・ウォーズ』は20世紀フォックスに企画を持ち込まれたのか?餅は餅屋ということわざがあるとおり、日本の映画会社ほどではありませんがハリウッドにも映画会社の色というものが存在します。20世紀フォックスはスター・ウォーズやエイリアン、ダイハードなどの大作SFやアクションで知られる映画会社ですがもともとはジョン・フォードの保守的な社会派作品や西部劇、『地上最大の作戦(1962)』、『パットン大戦車軍団(1970)』などのこれまた保守的な戦争映画で知られる映画会社です。スター・ウォーズが映画会社のコンセプトに合っていたのはもちろんのこと、ルーカス氏の学生時代に大ヒットした『猿の惑星(1968)』が念頭にあったのは言うまでもありません。チューバッカの原型がこの映画にあるからです。

最近ではトランプ大統領を支持するメディアとしてFOXニュースが注目されることが多いですが、アメリカの保守主義はそう言った短絡的な説明では理解できません。ただ言えるのは20世紀フォックスという映画会社は『エイリアン(1979)』を見るとわかるようにエンタテインメントの中に芸術を容認する映画会社なのです。上記した黒澤監督の監督としての参加が叶わなかった『トラ・トラ・トラ!(1970)』も20世紀フォックスの配給作品です。

ウォルト・ディズニー

去年の終わりごろになってディズニーが20世紀フォックスを買収するというニュースが飛び込んできましたが、詳細は不明であるのでここでは対立軸のまま説明していきたいと思います。そもそもディズニーの子会社である一般映画を配給するタッチストーン・ピクチャーズやハリウッドフイルムは僕の知る限りこちこちのエンタメ作品を中心に製作する映画会社ですし、ミラマックスに至っては問題が生じたのと同時に手放したところを見るとただの投資(宮崎駿監督作品などの外国映画の上映にうってつけだったのかな?)だったのではないでしょうか。そう考えますと誰でも知っているように子供を中心に置いたグローバルなエンタメ会社という位置づけは今も昔も変わりがないはずです。

移行したことによる昔ながらのファンとのずれ

映画会社が変わったからには当たり前ですが、ディズニーの色に染めなければなりません。しかし、世界中にいるファンがそう簡単にそれを容認するはずもなく、全作フォースの覚醒ではうまく折り合いを付け、最後のジェダイでディズニー色を出したのではないかと考えられます。

グランドホテル形式によるてんこ盛りストーリー

僕が初めて『スター・ウォーズ(1977)』を映画館で鑑賞したのは1982年のリバイバル上映の時でした。その後何かの抱き合わせで『スター・ウォーズ/帝国の逆襲(1980)』を鑑賞することになったのですが、その時の感想は期待よりも面白くなかったという感想を持ったと記憶しております。フリークの中には帝国の逆襲が最高傑作という人もいるくらいで、その頃には芸術映画も鑑賞するようになっていたのですが、まだまだ子供だったのでしょうとしか言いようがありません。しかしながら当時の自分が間違った感想を持ってしまったとは思いません。その後、帝国の逆襲を何度か見る機会を得ていますが、話の筋やテーマがはっきりしていて完成度が高い作品ではありますが、子供が喜ぶアクションが少なくハンがブロンズ像?にさせられたり、ルークが危うくベイダーにやられそうになったりと後味の悪い結末に子供が喜ぶはずもないからです。このことは僕だけの心の反応ではなく世界中の多くの人が抱いた感想だったのだと思います。そういった理由からスター・ウォーズはたくさんのお客さんを魅了しなければならない命題を持った世界中が待ち構えている作品となってしまったのです。それに対して自分らしさを出すのに疲れたとルーカスが答えているくらいですから製作者にとっては子供でも楽しめる作品に仕上げなければならないのは仕方がないことなのです。ただ、ルーカスの目が黒い内は何とか自分の意志を貫けたのでしょうけれど、今や自分の手から完全に離れてしまったのですから、ディズニーマークが似合う映画にならざるを得ないのです。当然、アクションシーンが多くなり必要とは思いませんが無駄なギャグのてんこ盛り(ディズニーアニメの中によくみられるシーンですが)となってしまうのです。

新しいキャラクター中心の内容

BB-8が活躍しすぎると批判が集まったようですが、キャラクター販売も手掛けるディズニーとしては子供が喜ぶキャラにはどんどん活躍して、どんどん金を稼いで頂きたいというのが会社方針なのでしょう。これこそディズニー映画の十八番なのです。

火を噴く中国マネー

少し前ですが、自称映画コメンテーターが現在のハリウットでは配役をグローバルな人種にしなければならない。だから最近東洋人の出演が多くなってきているのだと言っていました。僕は本当かな???とかなり疑っているのですが、理由はアメリカは人権にはかなりうるさい国ですが、それ以上に利益にならないことはしない。特にハリウッドにおいては。

フィンのエピソードにローズはいらないと主張する人もいるようで、少なくとも姉であるペイジのシーンはセリフで語らせるべきだともっともな意見を述べる方も多いようです。

ただ、莫大な中国マネーが投資されている以上そうせざるを得ないのも現実です。嘗てソニーが“金を出すが口は出さない”という暗黙の条件のもとコロンビア映画を買収し、ひどい作品ばかりを配給させられ莫大な不利益を被ったのは有名な話です。それから20数年、名前もソニーピクチャーズとなりヒット作も飛ばしているようですが、中国は端からそう簡単にはいかない。あの国は共産国だからです。国がノーと言えばどんな利益を生む作品だろうが上映できない。そうこうしている内に海賊版のDVDやBDがあっという間に広まってしまい、一銭にもならないからです。(そういえば、ペイジを演じたベロニカ・グゥはベトナムの女優さんですがどう見ても華僑ですね。実は東南アジアの経済界を牛耳っているのは中国系が多く南シナ海問題は日本人が考えている以上に難しい問題なのです)

いずれにしろ、新キャラを登場させるやり方はアメリカのテレビシリーズのやり方そのものでして、ストーリーを広げられるし、メインキャストから目をそらしやすくなるし、何よりディズニーの目指すグローバルエンターテイメントには打って付けなのです。ローズはアニメに出てきそうな顔と体型ですし、ポーグ(鳥)はすぐにでも縫い包みになりそうですね。

現実を受け入れ楽しむか、文句を言い続け離れてゆくか

冒頭それぞれの映画会社の特色を述べましたが、映画のために作られたキャラクターが映画会社を移るということはありえないことです。007(小説の映画化ですが)はUAやMGMの会社経営がうまくいっていなかったのでコロンビアに移ったまでのことで、そうでなかったとしたらUAのままでいたでしょう。もし『男はつらいよ(1969~97)』が松竹から東映に移ったとしたら、当然やくざ映画になってしまいます。差し詰めノボル(秋野太作さん)あたりは鉄砲玉として早々と亡くなるでしょう。あるいはにっかつが買い取ったら、寅さんと旬の女優さんのエッチシーン(ちょっと見てみたい気もするが…)が売りになるはずです。それだけ重大な変化をもたらす結果となってしまうのです。20世紀フォックスの首脳陣がディズニー売却に当然大反対したのは間違いありません。それでもルーカスが決断を下した背景には次回作を作る気力を失ってしまっていた以上の何かがあったのでしょう。

いずれにしろ、僕たちはディズニー版スター・ウォーズを受け入れるしかないのです。もしもこのままルーカスが著作権を持ち続けていたなら『スター・ウォーズ/フォースの覚醒(2015)』も最後のジェダイもまだ目にすることはできなかったかもしれません。

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