御府内八十八ヶ所巡り 平成二十八年六月 三
六月二十九日
暑くなったし姪の結婚式の前にあんまり日焼けするのも何なので9月の中旬以降まで中断しようと思っていたのだが、やはり歩かないと落ち着かないと言うのではなくはっきりと身体の調子もだんだん元の様に悪くなってゆくような気がしたので気温が低くなるこの日を選んで、朝の6時前に出発した。
前回から10日以上開いたので足の調子も良かったのであるが、目白辺りから少し足の裏が痛くなり始めた。それでも曇天の為にかなり気温が低かったので次の日にはそんなに疲れが残らなかった。
第八十七番所 護国寺
有楽町線の駅名にもなっているので知ってはいたが中へ入るのはおそらく初めてのはずだ。綱吉が作ったということでかなり有名なお寺で、東京で一番多い豊山派の総本山になっているらしい。重要文化財の本堂は凄い装飾になっていて、簡単に入れるとは思ってもみなかった。チャイニーズの御客二人、修学旅行の学生?数十人だけのお参りの数で、人気がない?分中をがっつり見ることが出来た。仁王門を入ると参拝者のためのベンチがたくさんあるのだが、サボリ?のサラリーマンでいっぱいだった。本堂では修行僧が真言宗特有のあの太鼓を練習していたり、御朱印を頼んだ修行僧は凄いゆっくり御朱印を書いてくれたため、頼んだのが誰かわからなくなり、お守りを買おうとしていたチャイニーズの若者に渡そうとする始末であったが、ある意味、お寺回りをしている実感を味わった幸先の良いスタートであった。
で、お茶の水と跡見女子大の間を抜けた。古くからある都心の大学の敷地はとても静かで、坂を上るのはちょっときつかったのだが、癒された。住宅街の路地を入ると専教院がある。
第七十九番所 専教院
知ってはいたが普通のマンション。2階に上ってインターホンを押したのだが、横に菓子缶があり中には御朱印があった。と、思っている内に中からご婦人が現れ、直接書いてくれると仰ったのでお願いした。本堂は家の中の仏壇の様で、赤坂の光蔵院のような大きさで、小さくてかわいい弘法大師さんの木造がいらっしゃった。奥さんに話を聞くと檀家さんを持たないお寺さんらしくどうやって生計を立てているのか謎だった?息子さんは五十二番所観音寺にいるらしく、もうすぐここを継ぐと言っていた?
第八十六番所 常泉院
中央大学理工学部や警視庁第五方面本部の建物の手前の小さなお寺。本堂は二階。家屋のインターホンを押しても誰も出てこないので階段を上って二階に行き、光物の掃除をしていたおばさんたちに声を掛けると、下、という声が帰って来ただけだった。しばらく待っても返事がないので、どうしようか悩んでいると、玄関に止まっていた工事車両の業者の人が道具を取りに戻って来たので声を掛けると、家屋の奥にいた奥さんを呼んでくれて、やっと御朱印を戴くことができた。
さて、あと三件。途中、戦没者慰霊堂の前を通ったので中を覗いてみると、遊んでいた保育園児が、帰ると保母さんが言っているのにいうことを聞かない。それを横目に太平洋戦争での日本人の国別(本国も含む)戦没者の人数を表した石碑を眺めていると子供たちが私に近づいてきて、保母さんに叱られて列に戻された。最初はこの子達はここがどう言う場所なのか知ることがあるのだろうかと思ったのだが、それとは逆に戦死者が彼等を見守っている気がして我々の繁栄は彼らの死があってこそだと改めて感じた。
第三十四番所 三念寺
ここも寺らしくないビルのお寺だが、全てがお寺になっていて、中に入ると本堂は結構大きい。新宿の観音寺を新しくした感じだが、都会のせいかお墓はなく、建物だけだ。寺務員に頼んだ御朱印を待っていると女性が遣って来た。今回で御朱印を戴く同歩人は二人目となった。
第二十八番所 霊雲寺
霊雲派と称する大きなお寺で、ここも綱吉の時代に作られたようだが、震災や戦争で焼失した本堂は昭和51年に作られたもののようだ。厳ついお坊さんに御朱印を頂く。
最後、圓満寺に行ったのだが、予想に反したと言うか予想どおりだというか?中には入れず、一度秋葉原で時間を潰して戻って来たのだが無駄だった。運が良ければ入れるという噂や、セキュリティードアはロックされてないとか、そもそも電話を掛けて行かなければならないとか、色々噂がある。まだ、この辺りを通る予定があるので、その時もう一度挑戦してみるかっ。